皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードとギリシャ船上生活レポの世界にようこそ!
ピロスの周辺には4000年前ぐらいのミケーネ時代の遺跡や古墳、ぐんと新しくなって(それでも1500年代)オスマントルコ時代の古城など歴史好きにはたまらない見どころがあります。観光レポをブログに掲載すると「行ったみたいな気がする!」と言っていただけて、すごく嬉しいです。今回もそう思っていただけるよう沢山写真を撮りましたよ。
10月4日の夜はお昼にガッツリ食べていたので、夜までお腹いっぱいでした。それでも主人は甘いものが食べたいっていうことで、お散歩も兼ねてPylosの街に行きました。徒歩10分弱かな。
10月5日の朝、目覚めたらこの景色が目の前に広がっています。ちょっと曇り空で、レインストームが近づいているのかもっていう感じでした。
雨が止んでから、無料マリーナ(誰も管理していないのです。)に行ってみました。夏の間は結構空いてるバースがあるらいしんですが、無料なのをいいことにここで越冬をする船があるようで、空きはほどんどありませんでした。カラマタを出てからここに来るかもと思っていたので、下見に来たんですが、空いている場所はあまり居心地がよさそうじゃない場所だけ。だから空いているんだね。
でも今回の小旅行で観光できるので滞在の必要はなく、Pylosに来ても多分夜を過ごすだけで翌日はすぐ出発となると思います。それならバースに係留するのは面倒。湾内はとてもいいアンカレッジなので、立ち寄ったとしてもアンカリングだねって主人と話しました。でも見に来て良かった。
さて、次に向かったのはネストールの宮殿。
いたるところにこんな風に「実際はこうでしたよ。」というイラスト付きの案内看板が立っていました。スタイルからしてクレタ島のミノア文明の影響を受けているのがよくわかりますね。クノッソスの宮殿のスタイル、色彩に似ています。壁のフレスコ画も似ています。ミノア文明はそれだけ影響力が強かったのです。さらに、軍事力もすごくて、クレタ島からはるばるここまでやってきて「毎年、年貢を納めなかったら攻め入るぞ。」と脅迫していたそうです。さらにトロイ戦争の際、「一緒に戦わないと攻め入るぞ。」と無理やりトロイ戦争に参戦させたそうです。
いい眺め!ナバリオ湾の入り口が見える。きっとここから見張りながらミノア人の船が入ってくるのをみて憂鬱な気分になっていただろうな。
ここなんかミノア文明のデザインをすごく思い起こさせます。
これは香りのついたオリーブオイルを貯蔵していた場所。
オイルが重要な貿易の品だったので、これはまさしく宝庫。
バスタブ!
外もきれいにお庭があって、ちゃんと手入れされた場所でした。
外に合った泉。何千年も前から湧き出ているのかなあ。
直ぐ近くに古墳がありました。
発掘された当時はこんな感じで見つかったそうです。
後ろの方には現在も続いている発掘現場が。
そこからさっきのビーチが手前に見て、真中がラグーン、一番奥がナバリオ湾です。
ランチタイムは、車で10分弱のビーチ沿いレストランを選びました。
もうシーズンは終わってますね。私達以外にはもう一組のお客さんだけでした。
ビーフカルパッチョ、写真撮る前にがっついてしまった。
最盛期は沢山のツーリストでにぎわうことでしょう。
入場料は中にある3つの博物館も含めてたったの6ユーロ。
博物館その1
あ、バスタブ。
さて、いよいよ城の内側に入ります。
いい眺め。
ここが正面ゲートだったようですが、ここからは入れませんでした。
あ、教会がある!
さっきの教会を見に行きました。
中は新しくされていて、もろ教会でした。
祭壇付近は美しく飾れています。
これでPylosの街の見どころは抑えたので、もうここには来なくていいな、と十分満足できました。今日6日はカラマタに戻るのですが、途中これまた中世の雰囲気一杯のメッソーニの街に立ち寄ります。
以下ウィキペディアから引用です。
ネストールの宮殿はミケーネ時代の重要な中心地であり、ホメロスのオデッセイとイリアスではネストールの「砂のピュロス」の王国として説明されていました。 ホーマーがテレマコスに言っているように、トロイア戦争の物語に登場する宮殿は次のとおりです。 ウィキペディア(英語)-引用終了
クレタ島のクノッソス宮殿跡は、土台の上に建物を再現されてしまっていましたが、ここは発掘したままで、崩れかかっていた部分を修復しただけで、できるだけそのままの形が残されています。私的にはこの方がより本物に近く、考古学的価値が高いと思うんですね。観光的なアピール度は低いかもしれませんが。その上に立っていたであろう建物は、看板のイラスト画で十分想像できます。
ネストール宮殿はこの赤印の位置にあり、指で示しているのがナバリオ湾内で昨年アンカリングした場所。
外に合った泉。何千年も前から湧き出ているのかなあ。
直ぐ近くに古墳がありました。
それを復元したのがこれ。すごい4000年も前からドーム形の建築技術があったなんて!ローマ帝国時代ぐらいからかなと思ってた。
次に向かったのは、ナバリオ湾の外にある有名なビーチ。ナバリオ湾との間にラグーンがあります。
ここも一応アンカレッジなのですが、風が弱い時は外から入っているウネリの影響が物凄く、横揺れが激しい場所。うん、見ただけでわかる。風がない日だったのに、ビーチに結構波が押し寄せてましたから。だってあの外はイオニア海、イタリアとかアフリカ大陸と繋がっているわけですから、波も大きくなりがちでしょう。オーストラリアのビーチはどこもざぶんざぶんサーフィン用のいい波が来るのは、周りがすぐに太平洋、インド洋、南極海だからじゃないかなって思っています。
そのビーチ湧きから藪の中にはいっていくと
丘の上に古墳があります。さっき見てきた古墳と同年代で、こちらは発掘のそのまま。そこからさっきのビーチが手前に見て、真中がラグーン、一番奥がナバリオ湾です。
もうシーズンは終わってますね。私達以外にはもう一組のお客さんだけでした。
お馴染みマッシュルームリゾットと右はクリスピーチキンとかぼちゃピューレ。どちらもとてもおいしく、レベルの高いお料理でした。食べ終わった時は午後3時近くだったので、きっとこれでディナーはいらなくなってしまうでしょう。最近午後遅い時間にガッツリ食べて夜は果物だけっていうスタイルが、お腹にとても調子がいいのです。私はその方がよく眠れるし。
その後、Pylosの街にもどり、港の近くの丘にの上にあるオスマントルコ時代の要塞古城に行きました。1570年代の建物で、これだって十分古いんですが、紀元前の遺跡とかを見慣れてきたので、今世紀のものだと新しく感じる!
フレスコ画の一部が展示されていました。クレタ島の博物館だったら、この周りに再現部分を付けて完成図にして展示しちゃってただろうなぁ。それだと価値が半減しちゃうのに・・・って私よほどクレタ島の遺跡や博物館が嫌いみたい・・・というより残念な気持ちが強いのです。やはり本物は本物として、いくらほんの一部でもできるだけ手を加えないでほしいなと思います。
正面ゲートは敵の侵入を考えて、かならず曲がりくねっているのです。これは日本のお城も同じ。ここで足並みが遅くなる敵を待ち伏せするわけですね。
1686年から1770年まではヴェネチィア統制時代だったそうです。
ここはトルコと反対で、もともとオスマントルコ時代のモスクだったのを、その後キリスト教会にコンバートされたものだそうです。トルコではローマ帝国時代の教会を、オスマントルコが占領した後モスクに変えられたものが多かった!イスタンブールの有名なアヤ・ソフィアが代表的。このアーチの感じ、モスクの名残かな。
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