皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードとギリシャ船上生活レポの世界にようこそ!
皆さま明けましておめでとうございます。2024年もどうかブログ応援お願いいたしますね。さて元旦からとんでもないことになりましたね。私の実家でも「揺れ」は十分感じましたよ。被害にあわれた方々を思うと、本当に心が痛みます。日本での年明けはこんな感じでした。
なんと姪っ子二人が、二人とも彼氏を連れてくるということでにぎやな年越しになる予感。
姪っ子二人がそろって彼氏と登場。礼儀正しく、自己紹介をし手土産持参で宴会に加わりました。いつまでも小さい頃のイメージのままだった姪っ子たちも、いつの間にか大人の女性になっていてました。あ~自分が年を取るわけだ。どちらのお相手も、とってもいい感じの子で、姪っ子たちの両親以外にもおじいちゃんおばあちゃんやおばさんにも囲まれてても、ほがらかでいて遠慮しすぎず、ファミリーにちゃんと馴染んでくれていました。姪も甥も三世代の家族で育っているので、盆正月や家族の誕生日などは家族で集まるのが普通で育っています。いわゆるジェン・Z(Z世代)なので、核家族の方が一般的だと思うので、大人数で集まるというのは珍し世代でしょう。だからお相手となる男性も、そういう家族が大勢でわいわいする(うちのワイワイは世間様のワイワイ×2倍のうるささですけど。)雰囲気になじめないと先が思いやられます。ひとまず、今回の「ファミリー宴会」関門は無事パスしたようでした。
へへ思いっきりカニ食べたよぉ~!オーストラリアにいる主人に写真を送ってうらやましがらせました。
宴会は午後6時から夜中まで延々と続き、紅白歌合戦が終了したあと、これまた恒例の「除夜の鐘」つきと初詣に出かけました。暖かい夜で、ダウンの上にマフラーに帽子まで被って行ったら、歩いている途中で暑くなってきたぐらい。
2022年の年末は、まだコロナの規制があったので甘酒のふるまいが中止になってたので期待していなかったのですが、今回はちゃんと元に戻っていました。あま~い甘酒で体があったまります。
次は洲原神社に移動です。全部徒歩距離なので必ずお寺と神社を回ります。お参りの行列はありますが、3列に並んでいるのでそれほど待つことなくすぐに順番が回ってきました。
昨年のお札を焼いてくれる焚火。
帰ってきた頃には夜中1時近くになっていました。いつもならとっくに寝ている時間だったので、すぐに寝付きました。それでも元旦は7時には目が覚めました!
この後は、前夜の夜更かしのせいで眠気におそわれ、お昼寝しちゃいました。退屈なほど平和な元旦でしたが、午後4時、テレビを観ていたら急に画面が変わり、地震速報に変わりました。直後に手元の携帯がけたたましい音を出したかと思ったら「地震が近くに来ます。直ぐに非難をしてください。」というのが英語で表示されたのです。え?能登半島の地震なのに愛知県まで?と不思議に思っていた瞬間、ゆっくりと地面が揺れ出しました。床に座っていた私は揺れをすぐに感知しましたが、椅子に座っていた父は気が付かなかったようで「お父さん、揺れてる揺れてる!」と私言っても「え~❓気のせいだよ。」と言ってたのですが、そのうち壁手にかけていたものが揺れ出したのを見て、やっと気がついたようでした。
揺れはかなり長く続いた気がしました。大きいゆれではなかったのですが、海に浮かんでいる時みたいでしたよ。その後は、みなさんもご存知の通り、全てのテレビ局が地震速報で埋め尽くされましたよね。私は阪神淡路地震の時は愛知県蒲郡市にいたのですが、あの時の地震はご~と地響きをきいてからすぐに速くて激しい上下揺れでしたが、今回は、ゆっくりした横揺れが長く続きました。両親は子供の頃に三河大地震を体験している世代なので、その思いで話が続きました。その時は最初の大揺れの後、三日ぐらい揺れが続き、家に帰れず野宿していたそうです。終戦直後の事で、戦争と地震の違いがよくわかっていなかった母は「何でも怖い時は防空壕に入ればいいと思っていたから、地震の後もおかあちゃんと一緒に防空壕に入っていた。」と思い出を語ってくれました。でも地震の時に防空壕って崩れたら危ないですよね。
元旦からとんでもないスタートを切った2024年、いったいどんな辰年になるのかな。
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