皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードとギリシャ船上生活レポの世界にようこそ!
すでに2021年も2週間が過ぎましたねぇ。1月になってもギリシャの冬は予想以上に暖かくって快適です。シドニーの冬と同じかなって思いました、それよりも暖かいぐらいかも。
7月に初めてギリシャ入りをした時、夏真っ盛りということで毎日毎日お天気がよくて驚きでした。一カ月一度も雨らしい雨がふらなかったんですよねぇ。それからイタリアに移動しちゃったから9月、10月のお天気はわからないんですが、11月11日プリビーザに着いてからも結構ポカポカ陽気で、昼間は半袖でも大丈夫でした。
それが12月に近づくにつれて雨や雷雨の日が増えていったんです。12月の半ば以降からは1週間ずっと雨模様が続くっていう事も珍しくなく、お天気の日の方が少なくなりました。これがギリシャの冬らしい!
そんな雨模様の合間に晴れ間があると、お散歩に出かけたくなるのです。この日も車で5分ぐらい海岸線を走って、まだ行ったことがない場所に行ってみました。あてもなく車を走らせしていて公園みたいな場所に来たのでここで一旦駐車。
これがググって見つけた全体像の画像。左の平野部分が駐車場になっているのでそこに車を止めて、ビーチに降りていき、城壁を下から眺めたわけです。城といっても、砦でもあるので海からの侵入者から内側の建物を守る役目をしているのですが、建設当時はフランス領だったらしく、ここから上陸してさらに内陸地に侵入されるのを防ぐ役目だったそうです。
入口があったんですが、閉まっていました。グーグル情報では内側に自由に入れるって書いてありましたが、入り口はしっかり閉じていました。そこへ続く道はきれいにタイルで整備されていたので、以前は自由に出入りできる観光名所の一つだったのかもしれません。コロナがなかったら、オープンしてたのかも。
イオニア海。反対側はイタリア本土の半島となります。私たちが航海してきた海ですねぇ。
これが反対側のクレオパトラマリーナ側にある砦の跡です。港を真ん中に両側に砦があって港を守っていたんですねぇ。
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下から見上げた城壁
階段で城壁のてっぺんまで登れたのかな?
滿汐になると、この部分も海の底になるようです。
そしてクレオパトラが負けたアクティウムの海戦は、まさにここで行われた海戦なのです!
紀元前もの大昔に、この目の前に広がる海で、クレオパトラ&マーク・アンソニーVSオクタビアスの軍船が戦ったんだな~、そしてやばいとなったら自国軍を残してさっさとエジプトに逃げ帰ったククレオパトラ達の船がここにいたんだ!って思って、主人の二人でしばし想像の世界にふけりました。SATOMI号は必死にレスキュー船にけん引されてこの海を渡りましたけど。
反対側が公園になっていたので、当初の目的「健康のためのお散歩」開始。
実はしばらく歩いから振り返って初めて、さっきの城壁が結構ちゃんとした「砦」だったことがわかったんです。
こうしてみると結構立派ですよねぇ。砦向こうに見えるのがプリビーザの町の港です。ちょど砦の裏側の位置にクレオパトラマリーナがありますよ。
他にも、あちこちにこんな感じの「砦」が海外線に何個かあるようです。車で5分~10分ぐらいの場所にあり、あてもなくドライブしていても、こういう古~い建造物があちこちにあるのが、いかにも「ギリシャ」なんですよよね。そんなことを日本の家族とZoomでビデオチャットした時に話したら父が「まるで奈良とかに住んでいるみたいな感じだね。」って言いました。確かに日本の歴史もギリシャに負けていませんよね。同じ長い歴史を持つ国だからかなぁ~オーストラリアに比べてギリシャと日本は似ているなっていう事がありました。
日本と同じくギリシャにも戸籍制度があるので、何か公の書類を提出する際(銀行口座を開設する時など)自分の名前以外に父親の名前を記入するんですよね。オーストラリアには戸籍制度がないので、主人は最初どうしてか不思議でたまらなかったのです。私はぴんと来たので「戸籍制度があるのか?」って聞いたら「そうです!」とのこと。なるほどって納得でした。今の日本以上に「家」や「家族」っていうのを今でも重視しているようです。
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