2022年9月5日月曜日

島全体が世界文化遺産デロス島を見学しました

皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードとギリシャ船上生活レポの世界にようこそ!




9月3日は主人の誕生日でした!遺跡とかが大好きな主人なので、お誕生日の日に遺跡巡りができるのをとても喜んでいましたよ。

朝8時から開園なので8時ちょっと過ぎにテンダーで上陸しました。観光船はもっと遅い時間から来るんですが、なんとでっかいクルーズシップが碇泊しており、そこから巨大テンダーが50人ぐらいづつお客さんを輸送し始めていました。チケット売り場に行列ができていましたが、その人たちはすでに入場料を支払い済みみたいで、グループの人が全員集まるのを巻ているだけのようでした。行列の隣を「はいはい、ごめんなさいよ。」的に通過してチケットを購入。一人8ユーロです。

とても分かりやすい説明を見つけたので、引用いたしました。

以下「世界遺産オンラインガイド」のサイトより引用

太陽の神アポロンとその双子で月のアルテミスの誕生の地としての神話が残り、歴史上ではペルシア戦争に勝利した後、ペルシアの攻撃を防ぐ目的でアテネを中心にポリスが団結して紀元前478年に結成したディロス同盟で知られています。

紀元前2000年頃には既に人が住んでいました。かつての政治・経済・文化の中心となり繁栄。前89年にはじまったミトリダテス戦争でローマ側に着いたデロスはアテネ軍とポントス軍により攻撃され島の人々約1万人が虐殺されました。
727年にイザウリアのレオ帝の軍に、763年にはスラブ人に、821年にはクレタ島のセラセン人に略奪されました。1566年にはオスマントルコが占領しましたが、この島にはもはや用途はなく、その後は海賊の巣窟になりました。
それらの変遷を遂げた後に、島全体が廃墟になってしまいました。

それから長きに渡り忘れ去られた存在でした。1873年に、フランス考古学者会の発掘調査によりかつてを偲ばせる多くの遺跡が発掘され、現在も発掘調査は続けられています。今でも住む人はなく宿泊施設もありません。 ー引用終了



あの高い丘の上にも見どころがあるんです。

沢山写真を撮りすぎたのと、それほど詳しく全部の箇所に説明書きがあったわけではないので、取り合えず私たちが歩いた順にご覧くださいませ。


朝早いのでまだ涼しいのがありがたい。クルーズシップのお客さんはグループで移動しているので、私達とは別ルートで進んでいるようで、入り口のところで追い越して以来、すれ違いませんでした。


SATOMI号が見えます。昨晩遅くにもう1隻ヨットが入ってきたのですが、フランス語で大声で叫んでいました。すごく気分を害している感じだったらしく(声を聴いて主人が外に見に行った。)もしかしたら彼らも、浅瀬をこすってしまったのかもしれません。チャート上よりも浅瀬は出っ張っているので、暗い中だと目視ができずさらに危険な状態となります。このヨットはその後も上陸してくる様子もなく、さらに係留している位置が観光フェリーの通路となっているので、フェリーが来た時大変だろうなって思ってみてました。すると早速そのフェリーがSATOMI号とそのヨットの間を通過していったので物凄い波が来てそのヨットを大きく揺らしていました。SATOMI号の方はそれほどでもなかったみたいですが、乗ってたらびっくりしたかも。それが嫌だったのか、その後すぐに例のヨットは出発していきました。

あのクルーズシップのお客さんがどっと押し寄せてきました。


遺跡には猫ちゃんが沢山いて、みんな結構栄養が行き渡っているみたいだったので、遺跡管理事務所の人たちに飼われているみたいです。島は無人島ですが、管理の人たちが島に住んでいるようでした。

この子はとっても人懐こくて、しばらく一緒についてきました。まるで遺跡のガイドをしてくれているみたい。



でもちょっと笑えたのは、多分愛想をふりまけば、なんか食べものとかをもらえると思っていたのか、しばらくしても一向に食べ物が出てこないので、あきらめたよう。この看板の所に座りこんで、それ以後は付いてきませんでした。





ここはマーケットの周りの店舗だったようです。

この広場がマーケット。イタリア人が多く住んでいたエリアで、ワインのマーケットだったそうです。

ライオンの像。







ここは裕福な方の典型的な住居だったそうです。

床のモザイク模様がきれい。大理石の柱もいかにもお金持ちって感じですね。


草ぼうぼうの場所は、以前は池だったそうですが、ここで蚊が大発生しミコノス島で大迷惑だったので埋め立てたそうです。

池から水を引いていた用水あと。

遺跡掘り起しの際に発掘されたものを展示する博物館もあるのですが、現在は改装工事のため休館中です。でも入り口が開いていて、覗いてみると係の方がいて「お手洗いは使えますよ。室内の写真は撮らないでください。水の自販機もありますよ。」と教えてくれました。
職員の方の宿舎のようで、隣に住居がありました。他にも敷地内には住居が数軒あり、管理の人たちがきっと交代で住み込んでいるでしょうね。夏の間は毎日朝8時~夜8時まで開いていますし、交通手段は観光ツアーのフェリーだけで開閉時間よりも遅く着いたり早く出発していきますから、毎日通勤することは無理でしょう。
大きなパワーボートも少し先にやって来てました。
さああの丘目指して登ります。



ここにも猫ちゃんがいました。(他にも沢山いましたけど。特にこの子は可愛かった。)

銅像になったつもりだそうです。

ある程度登った時点で全体の地図がありました。入場の際にこれと同じ地図をもらえます。




石の階段を上がっていきます。

結構長い階段で、足腰に自信がないと上までこれません。他には登ってくる人たちはトレッキングシューズを履いて準備万端の30代ぐらいの方が3人いただけでした。私なんかクロックスで登っちゃった!ビーチの岩場歩きもクロックスが大活躍。どこに行くのもクロックス!

すごいいい眺め!右端に見えるのがミコノス島。

反対側正目は別の島で、遺跡見学が終わったらそちらの島にあるアンカレッジに移動する予定です。この日の午後以降、少しづつメルティミが戻ってくる天気予報なのです。
一番頂上からだとかなり遠方まで見えますね。移動先のアンカレッジは右奥の陸の反対側にあります。

手前に見える観光フェリーが、SATOMI号と隣のヨットの間を通過していきました。この後そのヨットは一度も陸に上陸することなく立ち去って行きました。他にも観光船がどのどんやってくるので、このワーフは長期係留できません。スターン・トゥーしているヨットはツアーヨットのようでお客さんを下ろしたらすぐに立ち去り、ちょっと先にアンカリングして待機していました。そういうタイプのヨットが次々訪れるのです。

丘から降りていくと野外劇場の方に繋がっています。


ここが野外劇場。クルーズシップのお客さん達が専用ガイドさんのお話を座って聞いていました。



ここは貯水池だったよう。





これは立派床の模様ですね。



トライデントのお屋敷ということなので、ポセイドン神の神殿ですな。

確かに立派。


ディオニソスの家。ディオニソスと言えばお酒の神様!究極のパリピです。



床にはトラの絵が描かれています。その上をジンジャー模様の子猫ちゃんが、悠々と歩いおりました。

このあたりにクレオパトラの家があるはずなのですが、看板は見つからなかった。



8時ちょっと過ぎから10時半ぐらいまで2時間弱遺跡を見て回りましたが、規模が大きくて、あっという間に時間がたちました。気温的には9月に入り、35度を超えるような暑さはあまりなくなりましたし、島なので海風が心地よく、この時間帯ならまだ気持ちよく見学をすることができました。午後になるとさすがに暑くて仕方ないと思うけど。丁度いい時間帯に自由に歩き回れて、主人は大満足。「いいお誕生日だ!」と、とても嬉しそうでした。前日は古代港の跡に乗り上げ、キールの底をこすってしまうという失態でしたが、大したことがなかったので、いい経験というか、デロス島の事は一生忘れない思い出になりました。

さて、3日の夜からは北東の風が出てくるので、それに適したアンカレッジに移動する必要があります。さっき丘の頂上から見えたお迎えにあるRineia島のアンカレッジが丁度いいので、そちらに移動いたします。風的には、後方から10ノットぐらいだと思うので、ゆっくり吹かれて移動を楽しみます。

 本日もご訪問ありがとうございました!ご覧いただいた記念によろしければ「ペーパークラフト」ボタンをポチっと押していただけますか?
             



PVアクセスランキング にほんブログ村


             





0 件のコメント:

コメントを投稿