2024年5月18日土曜日

とにかくデカすぎて半分しか見れなかった世界遺産のポンペイ

皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードと地中海船上生活レポの世界にようこそ!







5月16日はレンタカーでおよそ30分弱のポンペイ遺跡観光に行ってきました。とにかく広くて(66ヘクタールもある!)とてもじゃないけど一日で見切れるはずもなく、半分ぐらい見たところで力尽きましたが、その素晴らしさは十分堪能できましたよ。灰に埋まっていたおかげで、古代ローマ時代の街がそのままの形で残っている唯一遺跡だそうです。壁に描かれた絵もすごくいい保存状態で残っているそうです。

5月16日(木):朝8時半過ぎに主人がレンタカーを取りに行きました。港内には許可者しか入れないので、前日から借りていたのですが近くに駐車できず、レンタカー屋さんに今朝まで預かっておいてもらいました。出かける途中でマリーナオフィスに寄ったら、なんと破損していたブラケットはすでに直っているとのこと!!!素晴らしい。これから出かけるので後でねっていうことで。

クルーズ船が入港していました。このお客さん達もきっとこの日ポンペイに行くんでしょうね。

出発したのは朝9時半過ぎ。途中高速への入り口を間違えて、ナポリ方面ではなくソレント方面にあるアマルフィの街に入っていましました!街の中が一方通行なので、引き返すには街を一周せねば!

ちょこっと観光できたのは良かったけど。

途中の山道では古い陸橋が。このアーチの足の長い陸橋、私はなぜかとても好きなのです。

道を間違えてロスタイムがあったので、ポンペイに着いたのは11時ちょっと前でした。後でわかったんですが、入り口は数か所あり、私たちは電車の駅のすぐ隣の駐車場に入れました。ここはメインの入り口ではないようでしたが、電車で来る人達はそこから入場です。ここでちょっと注意が必要。電車の駅を降りるとすぐに「チケット販売」場が連なっているんですが、これはオフィシャルチケット売り場ではなくツアーチケット売り場のです。勿論ポンペイ遺跡のチケットも買えますが、だいたいはそれにヴェスヴィオ山見学が含まれたツアーのチケットなんですね。。オンラインでもチケットが買えるようでしたが、調べたら手数料が含まれているみたいで2ユーロほど高かった。なのでその場を素通りして遺跡の入り口までいくと、ちゃんとチケット売り場がありました。一人18ユーロが正規料金です。

音声ガイドを1個だけレンタルしたんですが、これがほとんど役立たずだった。というのは、入り口が数か所あるので、入ってすぐが必ずしも案内の一番最初じゃないんですよ。66ヘクタールもの広大な遺跡は、全部で8つのエリアに分かれていて、私たちは7つ目のエリア近くから入場していました。でも音声ガイドは1つ目のエリアからスタートしており、しかも各エリアごとに見る場所のナンバリングが同じ。つまりエリア1にもNo.1があり、エリア2にもNo.1があるんです。だから最初主人は全然違うエリアのNo.1の解説を聞いて、私にうんちくを垂れていた!!!(笑)地図は無料でもらえるので、音声ガイドは不要だった気がします。一人8ユーロだったから二人分レンタルしなくて良かった。

画面左側は、当時は川だったそうです。ここから海へ出入りできたそうです。当時は海を利用した貿易商業都市として非常に栄えたポンペイ。


さて、ここからすでに方向を間違っていて、この写真の正面に向かって歩けばメインの通りから見学で来たんですけどねぇ~左に曲がってしまったのです。

後ろ向きの銅像があった。このエリアは本来なら帰り道に出てくる場所。


途中できがつき、音声ガイドは無視して地図とにらめっこでメインストリートらしき場所に向かいました。まずは娯楽施設が集まった地域。エンターテーメントもすごく充実していた非常に栄えた都市だったそうで、この辺りには大小の劇場がありました。


これは小さい劇場。

その隣の大きい劇場は今も利用されているようで、なにやら会場設営がされていましたよ。



所々家の中も復元されたりします。ここはかなりお金持ちだった人の家。

解説によると、悪名高きネロ皇帝の第2婦人の親類筋の家だそうです。


ヴェスヴィオ山噴火の灰でほぼ一日で滅びた街ですが、その灰にはシリカゲルの要素があったそうで、そのため絵画の色彩の保存状態非常に良かったそうです。ポンペイレッドと呼ばれる赤色を使った室内装飾が施されていました。






本当に豪華だなぁ。


これはお風呂あとじゃないかな?

裏には使用人たちの住居や倉庫がありました。


そしてガラスケースに入った白骨!ここで発見されたそうです。遺跡内には数か所白骨化した遺体とか、灰に覆われ中身だけ腐敗し空洞になったものに石膏を流し込み形を再現したものが何か所か設置されています。

外から見たお屋敷跡。

おお~ここはお店やさんだったのかな?カウンターらしきものがあります。

表通りは石畳で、その両側には少し高くなった歩道があります。通りは馬車が通行。人間がお店で休憩している間、馬もここで水を飲んだのでしょうね。


ここは船乗りが住んでいたのか宿泊していたらしい家。


裏には葡萄畑。ヴィンヤードです。当時もワインの生産をし販売する商売がポンペイの主要産業だったそうです。

さ等に進んでいくと、大型円形野外劇場の近くに展示物がある建物がありました。

あちらが円形劇場。

これは石膏なんですが、子供です。灰で埋まってご遺体自体は腐敗してしまったのですが、灰がまるで形抜きの代わりとなり、中に石膏を流し込んだもの。お子さんのようです。

これは石炭化したパンやナッツなどの食べ物。

食器棚に入っていたものだそうで、物凄く保存状態がいいです。

これは復元ですが、当時のベッドはこんな感じだったそうです。

ガラスケースで保護されていた壁の装飾。とてもきれいな赤色が今でもくっきり。


そしてこれが野外劇場。実はここでは1970年代にピンク・フロイドがコンサートを行ったようで、それに関する展示物がありました。見学来ていた学生さん達のグループは、ピンク・フロイドなんて知らないだろうなぁ。


その後、本来ならこの通りから見学をスタートするはずだったメインの通りに出ました。私たちは見学コース逆走ですが、特に決まっているわけではないので自由にあちこち行けるんですけど。でもちょっと効率悪いと言えば悪かったです。というのは、この時点で午後1時半。見学スタートは11時半ぐらだったので、すでに2時間は歩きっぱなし。まだ半分ぐらしか見てないんですが、もう遺跡はお腹いっぱいでした。(実際のお腹はグーグーなってましたけど。)所々緑のエリアがあって、木陰で休憩できそうな場所があり、遠足らしき学生さん達はおやつを食べたりパンを食べたりしてランチ休憩していました。そう、お弁当を持ってこないとねぇ~!

ここもお金持ちの家だったみたい。






これはタバーン跡。これ以外にも数軒、食べ物やさんだったらしき建物がありましたよ。




この通りは目ぬき通りだったみたいで、かなり長い直線の通りが続いていました。



そして交差点は見事に直角。素晴らしいローマ時代の区画整理。3つ並ぶ石はいわゆる歩道橋がわり。

両側の盛り上がった部分が歩道で、真中は馬車道です。おそらく馬の糞だらけで汚かったので歩行者が反対側に渡る時には、この石の上を渡ったと思われます。石と石の隙間に車輪は通過するので、場所も問題なく通過できたわけですね。

ずっとまっすぐなメイ通りを抜けると、大広場にやってきました。ここは当時のポンペイの街の中心地。市庁舎とかがあったんでしょうね。

でその広場の後ろにそびえるのがヴェスヴィオ火山なのだ!噴火当時は2万人ぐらいの人がポンペイにいたそうで、大半は避難したそうですが逃げずにとどまった人達の中から逃げ遅れた人約2千人が火砕流で亡くなったそうです。つまり、噴火して一瞬で街がなくなったわけではなかったんですねぇ。




ここまで来たら、行に通った道に出会いました。あのまま真っすぐ進んでいたらここに繋がっていたんだなぁ。ま、いいけど。

8つのエリアのうち3つのエリアしかじっくり見てなかったんですが、もう充分堪能できたので帰ることに。なるほど3日通し券があるわけですね。一日では見切れませんから。

駐車場のすぐ隣にあったレストランでランチをすることに。お腹がすきすぎていたので探しに行く気力がなかった。

遺跡で入り口にもレストランやカフェがありましたが、そこはなんとなく観光客向け感が満載で、質の割にはお値段が・・・だったので止めました。ここも最初は駐車場近くだし、と思ってたんですがメニューを見たらそれほど高くなかったので決めました。空いているし日陰でとても気持ちがいいです。

お腹は空いてたんですが、すでに午後2時半近くだったので重たいものは食べたくなく・・・大盛サラダにしました。レタスのシャキシャキ感とプチトマトの甘さがとっても口あたり良かった。

主人はラザニア。大好きだからメニューにこれがあればどこで食べてもOKなのです。

帰り道は迷うことなく、すんなりサレルノに戻れました。帰ったの時には4時ぐらいになっていましたが、その後しばらく休憩してから主人はオートパイロットのブラケットを設置し始めたのです。疲れているはずなので、ご苦労様ですこと。


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