皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードと船上生活レポの世界にようこそ!
8月29日に2回目の父娘ブッシュウォークに行ってきました。今回は岡崎市にある健康の森。こちらの方が物見山よりもブッシュウォークと呼ぶにふさわしい感じで、物見山よりもアップダウンが少なかったです。それでも2時間50分、4.9キロで9500歩は達成。物見山と比べたら半分弱の距離でしたが、コース途中に灯篭があったり休憩所も趣がある作りになっていたり、と見て楽しめる部分が沢山ありました。ウォーキングの後は近くにある、東京から移転された旧本田忠次邸を見に行くなど、観光も含まれいてとっても楽しい半日コースでした。
父作の地図。行と帰りは途中から違うルートを通って退屈しないように工夫してくれています。
朝5時半ごろ出発したので、現地に到着した時はまだ6時半でした。実家から直で向かうとだいたい30分ちょっとぐらいなんですが、途中コンビニによって朝ご飯休憩をしたので出発してから1時間ぐらいで到着でした。
各石燈籠の形の名前を記した碑もあります。
休憩エリアも趣がある建物です。
でも休憩せずに次に進みました。
次は夕日の丘を目指します。ここからまた違うコースがスタートするので、番号が1からスタートしました。父が作った地図にもこの番号が記入されています。
所々にコースマップもあります。迷ったりしたらこのアルファベット番号と自分の携帯番号を知らせるようにって書いてありました。ここは夕日の丘、冒険の丘からは5分ちょっとの距離でした。
見晴らしがいいです。
ここでは水分補給程度の短い休憩でした。
おにぎりの小道って、この奥でおにぎり食べながら歩いてねっていう意味かしら?
ちょっと下り坂になりました。
見晴らしがいい所にはベンチがあって、ちょくちょく休憩できるようになっています。こういう場所は風通しもよくて気持ちがいい。
まだ8時まえなので、気温はそれほど上がっておらず、動いていても軽く汗ばむ程度でした。
そして7時50分、目的地の太陽の丘に到着。ここが健康の森のウォーキングコースとしては一番遠い場所で、終点となっています。
途中何人か歩いてる人とすれ違ったんですが、座って休憩していた年配の男性2名とちょっとお話もしました。その人たちは毎週来ているとのことで、お年を聞いたら77才とのこと。おそらく父よりも若いだろうな、と思っていたんですが、ご本人たちはご自身が高齢の割には元気でしょ!的な意味合のトーンで答えられました。で、私が「まだまだバリバリ若いですよ!この人は85才です。」と言ったら、本気で目を丸くして「え~!!!!」と驚きの声を上げて「全然見えませんよ。お若いですねぇ。」と言われていました。確かに父の年齢で、山歩きをしている人がそもそも少ないでしょうし、いたとしても背中が曲がっていたり杖がないと歩けません、という感じだったりするので、バックパックを背負い普通の歩き方で歩いている父は85才としてはかなり珍しい方だと思います。それもこれも若い時から山登りを続け居て、50代半ばで長野に転勤になった時から毎週のように北アルプスの山々に行っていたことの賜物だと思います。父曰く「昔は里山なんて山じゃなくて丘だと思ってたしねぇ。」とのこと。父的には山登りを引退したので、里山を歩いている、という感覚なのです。普通の人(私とか)はその里山に行くのが精いっぱいです。
気を取り直して、帰り道です。
分岐点だ。帰り道は途中まで行きと同じ道をもどります。
ここから行きとは違う道に進みます。バーベキューの広場には2通りのコースがあって、一つは85段の階段を下っていくので急ですが近道。でも階段は下りでも疲れるので、遠回りでも尾根をぐるりと下る方を選びました。
8時半に太陽の丘を出て、バーベキュー広場に着いたのは9時ちょっと前でした。ここにトイレがあるので、トイレ休憩。
バーベキュー広場の奥の駐車場の隣からまたウォーキングコースが繋がっています。
帰り道はまた行きの最初のように、趣がある休憩小屋があったり、石畳や階段だったりと、風景も全くの自然ではなくちょっと庭園風に手が加えれれているエリアを通りました。
この辺りはブッシュウォークではなく森の中の散歩道という感じ。
9時16分、行きと同じ場所に合流しました。
エアコンを付けた車内で、アンパンを食べました!途中からお腹がグーグーなっていたのだ!
「本多忠次(1896年~1999年)は、徳川四天王の本多平八郎忠勝を始祖とする旧岡崎藩主、本多家の子孫です。忠次の父である本多家の十七代目・忠敬は、宮内省式部官、貴族院議員を歴任する一方、岡崎の城址公園整備や教育振興に貢献した人物です。その次男として生まれた忠次は、学習院を経て当時最先端の学問領域であった東京帝国大学文科大学哲学科で学ぶなど、新しい時代を生きた新世代でした。その忠次が周到な調査や準備期間を経て、敷地選定から建築基本設計を自分自身で行い、36歳の時におよそ1年かけて完成させたのがこの建物です。」岡崎おでかけナビサイトから引用
玄関先にこれ。ミニ噴水みたいな感じかな。入場料は無料です。
ステンドグラスは本当に美しかった。
素敵な応接室です。家具はほぼ当時のままで、イスなどは張替えをしているそうです。
ダイニングルームも立派!この隣には配膳室があり、食器棚に見えるところが窓になっていて、そこから食事の進み具合を確認しながら料理を出せるようになっていました。
天井も素敵な飾りがついています。オーストラリアでも1800年代建築の家の天井はこんな飾りがついてることがよくあります。
隣の部屋にはスーツケースが展示されていました。
アメリカのウィスコンシン州のメーカーで製造されたもののようです。
東京に合った時、終戦直後は洋館だったのでGHQに接収されていたそうです。マッカーサー元帥の弁護士がこの家を住居として与えられていたそうです。
一階の一番奥には和室がありました。客間として使われていたと思われます。続いているのが半円形の板張りの部屋というのがおしゃれ。
そしてバスルームのありました。なんとこんなおしゃれなタイル張り!!浴槽は坑火石にモルタルでモザイクタイルを貼っているそうです。右の陶器製の羊の口から出た湯水は一度下の平らな部分に溜まり、段差を超えて滝のように中央の浴槽に流れ込む仕組みだそうです。左小さな水槽には新しい湯水をため上がり湯に利用されたそうです。
さらに庭から直接入れるドアもあり、庭仕事をした後に直接お風呂に入れます。
「この建物は、東京世田谷区にあった住宅と壁泉の一部を移築復元したものです。
建物はフランス瓦の屋根で外壁は色モルタル仕上げにするなど、当時ブームとなっていた田園趣味を反映させたスパニッシュ様式を基調としています。1階は西側に車寄せを付けた玄関、南側中央には三連アーチのアーケードテラス、続く東端には2階まである半円形のベイウインドウを配置しています。
また、前庭ではスパニッシュ建築様式には欠かせないといわれる壁泉のある大きなプールが設置されています。
外観は洋風ですが、和室と洋室を取り込んだ和洋折衷式が採用されており、プライバシーを高めた現在の住宅様式の先駆けといえる内部となっています。
各部屋はそれぞれに趣向が凝らされており、ほとんどの家具は建築当初のオーダーメイドです。食堂や書斎では古典的で重厚な棚やテーブルセットが選ばれています。また、新しい芸術様式として一世風靡したアールデコ様式で統一した茶室、銀色を基調としたモダンな寝室、その他照明器具、モザイクタイル、ステンドグラスも見どころの一つです。」岡崎おでかけナビサイトから引用
建物はフランス瓦の屋根で外壁は色モルタル仕上げにするなど、当時ブームとなっていた田園趣味を反映させたスパニッシュ様式を基調としています。1階は西側に車寄せを付けた玄関、南側中央には三連アーチのアーケードテラス、続く東端には2階まである半円形のベイウインドウを配置しています。
また、前庭ではスパニッシュ建築様式には欠かせないといわれる壁泉のある大きなプールが設置されています。
外観は洋風ですが、和室と洋室を取り込んだ和洋折衷式が採用されており、プライバシーを高めた現在の住宅様式の先駆けといえる内部となっています。
各部屋はそれぞれに趣向が凝らされており、ほとんどの家具は建築当初のオーダーメイドです。食堂や書斎では古典的で重厚な棚やテーブルセットが選ばれています。また、新しい芸術様式として一世風靡したアールデコ様式で統一した茶室、銀色を基調としたモダンな寝室、その他照明器具、モザイクタイル、ステンドグラスも見どころの一つです。」岡崎おでかけナビサイトから引用
外観は西洋館で玄関も洋館そのもの。
どの部屋にも日本語と英語で書かれた説明書があって、とってもわかりやすいです。
素敵な応接室です。家具はほぼ当時のままで、イスなどは張替えをしているそうです。
天井も素敵な飾りがついています。オーストラリアでも1800年代建築の家の天井はこんな飾りがついてることがよくあります。
東京に合った時、終戦直後は洋館だったのでGHQに接収されていたそうです。マッカーサー元帥の弁護士がこの家を住居として与えられていたそうです。
そしてバスルームのありました。なんとこんなおしゃれなタイル張り!!浴槽は坑火石にモルタルでモザイクタイルを貼っているそうです。右の陶器製の羊の口から出た湯水は一度下の平らな部分に溜まり、段差を超えて滝のように中央の浴槽に流れ込む仕組みだそうです。左小さな水槽には新しい湯水をため上がり湯に利用されたそうです。
バスルームの外にはトイレと洗面所があります。
ラジエーター式のヒーターもあったそうです。暖房用の蒸気が床下の配管を通して各部屋に送られていたそうです。なので邸内には暖炉がなかったそうです。江戸時代から家事が多かった東京で育った忠次は家事に対して敏感だったみたいです。
2階はプライベートエリア。メインの寝室はツインベッドでした。
2階のお風呂は1階とは違い、比較的軽量な琺瑯製のバスタブを使われているそうです。さらにシャワーと隣には便座の便器もありました。
寝室の奥は書斎に繋がっています。
半円形に張り出した部分で、景観がとても美しかったです。
この日はテレビのコマーシャルを撮影していて、撮影隊がいました。何のコマーシャルなのかは秘密だそうで教えてくれませんでした。
書斎の隣はお茶室。ティールームってことかな。当時パリで大流行していたアール・デコ様式のテーブルセットや照明器具が配置されています。
ティールームの隣は水回りの設備がありました。1回の和室は和式のお茶室で、ここは洋風。
なんと消火栓も装備。大正12年の関東大震災の教訓もあってか、忠次は1階と2階の廊下に消火栓設備をつけていました。もともと消火栓ののドアは木製だったそうですが、見学用にガラスドアで復元したそうです。
そして2階の奥には三間続きの和室!砂壁、竿縁天井や床の間もあります。それぞれ控えの間、次の間、客間となっており、客間には床の間があります。
母の実家が岡崎なんですが、母が生まれ育った家もこんな風に三間続きの和室になっていて、一番奥が床の間と仏間でした。そしてこんな風に欄間がある典型的な日本家屋でした。今では立て替えられて現代風な家に変わっていますけどね。
廊下の突当りが浴室です。
思っていた以上に見ごたえがあるお屋敷でした。和洋折衷ですが、それがとてもしっくりと馴染んでいて違和感がありませんでした。お庭も素敵だった。
見学を終えたのは10時でした。家路に向かうのですが、まだランチタイムには早いので、途中で食べるのではなく取り合えず実家近くまで戻ることに。
ラジエーター式のヒーターもあったそうです。暖房用の蒸気が床下の配管を通して各部屋に送られていたそうです。なので邸内には暖炉がなかったそうです。江戸時代から家事が多かった東京で育った忠次は家事に対して敏感だったみたいです。
奥にはバスルームがあってオンスィートになっています。
2階のお風呂は1階とは違い、比較的軽量な琺瑯製のバスタブを使われているそうです。さらにシャワーと隣には便座の便器もありました。
半円形に張り出した部分で、景観がとても美しかったです。
そして2階の奥には三間続きの和室!砂壁、竿縁天井や床の間もあります。それぞれ控えの間、次の間、客間となっており、客間には床の間があります。
母の実家が岡崎なんですが、母が生まれ育った家もこんな風に三間続きの和室になっていて、一番奥が床の間と仏間でした。そしてこんな風に欄間がある典型的な日本家屋でした。今では立て替えられて現代風な家に変わっていますけどね。
廊下の突当りが浴室です。
思っていた以上に見ごたえがあるお屋敷でした。和洋折衷ですが、それがとてもしっくりと馴染んでいて違和感がありませんでした。お庭も素敵だった。
見学を終えたのは10時でした。家路に向かうのですが、まだランチタイムには早いので、途中で食べるのではなく取り合えず実家近くまで戻ることに。
帰り道、比較的最近できた新しい環状道路を通るんですが、気が付いたのは、ここのエリア物流会社が連立しているんですよね。高速道路の出口にも近く、しかもこの周辺には沢山の自動車関連の会社があるんですよね。そしてその会社はJust In Timeという物流システムを採用しているので、分刻みで部品の搬入が指定されているらしく(父はもと自動車関連メーカーの技術者でした。)このロケーションに物流センターがあるのはとても理にかなっている、と説明してくれました。ここで一旦大型トラックから荷物を下ろし、そこから小型トラックに積み替えて地元の各社にきっかりの時間に配送していくんじゃないかな、とのこと。
いわれてみれば、道々に5社以上の物流会社がありました。
岡崎運輸の物流センターのほぼお向いはデンソー安城工場。勝手に私たちはこの通りを「物流街道」と名付けて楽しんでいました。
ランチは実家近くのスーパーでお弁当を買いました。やっすい!母はこの日、日本舞踊の仲間たちと豊田の山奥に避暑に行っており不在だったので、お弁当を買って家で食べることに。これは私が買ったんですけど、父はやっぱりカツ丼を選んでいた!
健康の森では3時間弱で4.9キロの歩行。歩数も今回は1万歩には達しませんでした。物見山よりもアップダウンが少なかったのですが、それでもそこそこ疲れてたし、朝が早かったのでランチを食べたら急に眠くなってお昼寝しちゃいました。
いわれてみれば、道々に5社以上の物流会社がありました。
夕方4時ぐらいに母から「今から帰ります。」という連絡が入りましたが、私が夕食担当なのでゆっくり帰ってきてください、と返信しておきました。
今夜のメニューはナスとピーマンと豚のしそ味噌炒め。しそ味噌は母の手作り調味料で、これを混ぜるだけで手軽に野菜炒めとかが美味しく調味できます。
それに母が買ってきた「よせ豆腐」の冷ややっこ。踊りのお師匠さんの実家が豆腐屋さんでとっても新鮮で美味しいお豆腐を帰るのです。実は私、大豆アレルギーで沢山お豆腐は沢山食べられないので、ほんのちょっぴりでしたが、味が凄く濃くてこれだけで普通にご飯が食べられると思いました。でもこの日はワインの気分だったので、ご飯は食べずに晩酌的ディナーとなりました!あ~美味しかった。
ということで、第2回父娘ブッシュウォークは1回目よりも軽いコースでしたが、その後の観光がかなり楽しめて、またまた充実の半日でした。でも父はやはり物足りなかったみたいで、この数日後にまた一人で同じ場所のもっと山の奥の方に行く計画を立てていました。すごいねぇ~。
本日もご訪問ありがとうございました!ご覧いただいた記念によろしければ「ペーパークラフト」ボタンをポチっと押していただけますか?


















































































































0 件のコメント:
コメントを投稿