2022年6月25日土曜日

カヤッコイー廃墟の都市-フェティエ観光

皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードとギリシャ船上生活レポの世界にようこそ!




ECEマリーナには3泊していたのですが、初日は入った時が夕方だったので、実際には丸2日だけ行動する時間がありました。水曜の午後から借りていたレンタル50CCで、木曜日に半日観光に行きました!

カヤッコイというのは、1923年までギリシャ人が住んでいた都市。エーゲ海の沿岸のトルコは古代ギリシャの時代はギリシャ領だったわけです。(ビザンチン帝国だったから今でいうギリシャではないですけど。)その後オスマントルコの領土になった後も、キリスト教ギリシャ人とトルコ人は仲良く共存していたそうです。1822年あたりからエーゲ海トルコ領域に近い島々(キオス、レスボス、サモス島などもトルコ領になっていた。)がギリシャの一部になるためにトルコからの独立運動を始め、第一次世界大戦後にギリシャが正式にトルコから独立した時、ギリシャの島々にいたトルコ人とトルコ領にいたギリシャ人が交換されたんですね。カヤッコイも1923年にそこに住んでいたギリシャ人たちはそっくりギリシャに送り返されたそうです。


街全体が廃墟となったのですが、これがかなりでかい。これまで見てきたエーゲ海の島々の中でも結構規模が多いきい集落だと思いました。最盛期には6000人ほどの人口だったそうですが、ギリシャートルコ戦争が始まるにつれて、どんどん住民が減っていき、1923年に強制退去させられる頃には、ほとんど住人がいなかったそうです。そこに行きつくまでに、迫害もあったそうで、この都市で殺害されたギリシャも多かったそうです。それで、ギリシャ人の幽霊が出るっていう噂があるらしく、ギリシャ領に住んでいたトルコ人(キオス島にもいたんですよ。)たちが、最初この廃墟都市に移されたそうなんですが、幽霊の噂のため住みつかなかったそうです。その後1957年の地震で建物がかなり破壊されてしまったそうです。

観光客はちらほらいました。ここは目ぬき通りだったのかな?


街全体が廃墟で、決まった観光ルートがあるわけではなく、目抜き通りを外れて自由に町の中を歩けますが、ほとんどは道になっておらず石垣を乗り越え乗り越え歩いていくっていう感じ。一応大まかなルートはあるようですが、私達は横道にそれて自由に歩き回っていました。

教会あと。かなりデカイ建物。安全基準のため、中には入れなくなっていました。





斜面に建物がたっていて、一番高い所に見張り台みたいなタワーがあったので、それを目指して登っていきました。高い所から見下ろすと、都市の規模の大きさがよくわかります。


てっぺんまで登っていくのは結構大変でした。階段とかないので、砂利道の石を階段代わりに上がっていくのです。
反対側は海だった!ここで見張っていると、海側から侵入者があった場合も見つけることができますね。



一間ぐらい歩き回ったでしょうか。とにかく日中は軽く30度を超え日差しもすごいので主人はセーリングの時に来ているUVカットの長袖シャツを着ていったほうど。水とスポーツドリンクを両方持っていたのですが、どっちもほぼ飲み干していました。街全部を歩き回ることはできませんでしたが、もう充分堪能したので帰路につくことにしました。

入場料を払う入り口が2か所あって、もう一つの入り口に近い方にバイクを止めてたのですが、距離としては500メートルぐらい離れていたぐらいかな。

それでも暑さで疲労感が強く、一旦休憩することに。小さな売店みたいなカフェで涼みました。ここでレモネードを2つ頼んだのですが、すっかりぼったくられました。支払い時、60リラって言われ、それはだいたいオーストラリアドルだと約10分の1なので6ドル、一杯3ドル。これはトルコ地元ではバカ高いのですが、数ドルのことなんで気になってませんでした。(今、オーストラリアの銀行カードでトルコリラの現金を引き出しており、手数料を含めると10分の1ぐらいになるんです。)
支払いの時に、レジの人に向かって英語がちょっと話せて私達に話しかけてきたお店の人が「60リラ、60リラ」って盛んにいうんですね。その時はあまり気になってなかったんですが、主人がバイクを取りに行ってきてくれる間に、別の旅行者が来て(イギリス人らしき若者)同じドリンクを買いました。その際も「30リラ!」って叫ぶんです。レジの人は手慣れた手つきだったからお店の人だと思うんですが、価格を知らないのって変だなって思いました。その時、その若者は「え?15リラしかないから、お金取りに行ってきます。」と言ったんですよ。そしたら、英語がちょっと話せるお店の人が「あ、じゃそれでいい。」って言ったのがきこえました!その時ピンときました。これって本来は1杯15リラじゃないの?でも旅行者だから倍の値段を取る用、レジの人に指示したんじゃない?って思ったんです。でも持ち合わせがなかったし、もしかしたらもう戻ってこないと思ったのか、「じゃ、それでいい」っていう話になった。なるほど、これマリーナでやられたのと同じ手口。やっぱトルコ流なんだ。後で街に帰ってからランチをしたお店のメニューでソフトドリンクの値段を確認したら、だいたい17リラ前後でした。きっとこれが相場なんでしょう。つまり相場を知らない旅行者だったら平気でふっかけ、「それ高すぎる。」とか言われてバレたら元に戻すっていうやり方がトルコ流なのかも。

街のレストランはメニューがちゃんとあり金額が書かれているので、そういう意味では安心ですが、金額が書かれていない小さなカフェとかお店では要注意だなって思いました。ま、確かに数ドルの事ですが、積もり積もればね・・・・。
街に戻り、マリーナから反対側の岸の方に沿って散歩しながらディナーの場所を探しました。見える限り、湾内のワーフ沿いはすべてこういう観光船がびっしり係留していて、いったいこんなに沢山あって、商売が成り立つのだろうか?と不思議になるぐらいです。

モダンなお店が立ち並ぶエリアのパブみたいなレストランに、メキシコ料理があったので主人がそこがいいってことになり、私はあまりお腹が空いてなかったこともあり、サラダとビーフカルパッチョをオーダー。アボガドサラダは結構ボリュームがあってこれだけでも良かったなと思いました。

少し遅れて運ばれてきたカルパッチョは・・・・・????薄切りステーキみたいなものがしっかり焼かれております。カルパッチョとは似ても似つかぬものでしたが、ビーフ自体は美味しかったので、ま、いっか。

繁華街の港エリアを少し離れた場所に、博物館らしき建物があり広場がありました。丘の上にトルコの国旗が掲揚されていて、写真ではみずらいですが、男性の横顔を電気でかたどったものもありました。地元の名士かな?


6月24日(金):昨日の夕方ソーラーパネルの業者さんに見に来てもらいました。おおよその金額を聞いたら、安いことはないけど、高いこともない、ま、ギリシャでやっても同じぐらいかなぁっていう感じでした。以前他の人たちから聞いていた話「いろいろ設備つけるならフェティエがいいよ」っていうのは、過去の話っぽいです。ここ数年で物凄い物価上昇があったみたいで、特にマリン関係は、「トルコ=安い」とは言えなくなっていると感じています。特別バカだかくなければトルコにいる間に2台めソーラーパネル設置と日よけのカバーを作ってもらおうと思っていたので、デザインなどを説明してソーラーパネル設置費用と共に正式な見積もりを後日頂くことにしました。

ECEマリーナの猫ちゃんたち。子猫が3匹いるお母さん猫。みんな人間になれていて、子猫も触られても平気でした。

マリーナ出発前にまた港沿いのカフェで朝食。これ一人分のトルコ風朝食セットですが、二人でシェアで充分だった。お茶はお代わり自由でした。トルコのお茶、私は大好きです。このドーナッツみたいなパンがベーグルみたいで美味しいんですね。

レストランの外の道をパンをトレーに乗せて、それを頭に乗せて売っているらしき姿をみました。今度見かけたら買ってみよう!

ということで、ECEマリーナは24日午前11時すぎに出発しました。その後、湾内にアンカリングして夜を過ごすことにしました。

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