皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードとギリシャ船上生活レポの世界にようこそ!
Qeparoは1泊しただけで翌日北上、海岸沿いを北上して半島の先っぽのアンカレッジに移動しました。第2次大戦の名残があちこちにあって探検甲斐がある泊地でした。夜半の南風待避のために集まってきたヨットの中に、キャタマランのイギリス人カップルもいて数日ぶりに再会!
6月27日(火):抜歯後の麻酔も冷め、その後の経過も問題なかったのでディナーにでかけることに。グーグルで調べた時に料理の写真がよくてさらに値段もお手頃なレストランに行ってみました。港沿いからは一本入った場所なのと見かけはとってもカジュアルなので知らなかったら通りすぎていたと思う。
前菜としてブロシェッタ。本当は4個なんですけど、写真を撮る前に主人が1個速攻で食べました。
これはHimare名物のサラダみたい。オレンジが入っているのがHimareスタイルらしい。オリーブはギリシャのよりも硬めで苦みが強かった。
主人は、なんとお肉。抜歯をしてちゃんと噛めるようになったのがうれしかったみたいで、ラムをオーダーしました。
私は魚!Koceという魚でヨーロッパヘダイという鯛の一種だそうです。アルバニアの地元の魚だそうです。お味は、鯛そのもの。レモンと塩見のサッパリした味付けがよく合います。いつも料理は主人とシェアするので、魚は主に私が食べましたがラムもちょっと頂きました。魚と肉と両方一度に食べれるのは外食の良さ。家だったら、まず魚を焼かないしね。
食後に港沿いを散歩していたら、なんと昼間歯医者さんの場所を親切に教えてくれたカップルに再会!彼は詩人だそうで自分の詩集を夏の間こうして海辺リゾートで販売しているそうです。詩が好きな主人(意外ですよね。でもこれは両親譲り。)アルバニア語で書かれていてもとてもグーグル翻訳すれば読めるということでお買い上げ。というか、1冊300レク(訳3ユーロ)だったし、会話をしていてとても面白かったのでそのお礼を込めて、と言う感じでした。500レクしかなかったのでお釣りもいただきませんでした。
ありゃりゃ、あの後方の2隻ちょっと近すぎじゃない?風が全くないのに海流があるのか、Himareの泊地では全部の船があっちこち違う方向を向き出すんですよ。後に来たのはパワーボートの方だったので、後にもっと外の方にリアンカーしたみたいでした。
坂道の上からの眺め。ここにはおしゃれ系なバーレストランがあるのでビーチに置いているものも単なるパラソルにサンベッドではなくおしゃれな感じ。
屋上になんか女性がのけぞったみたいに見えるオブジェがある!そしてあの月のマークはトルコをの国旗を意識しているのかな?!
港沿いにバーが沢山あるので、夜は音楽がうるさくて寝られないかな、と思いましたが音のボリュームはトルコほどではなく気にならない程度でした。それよりも、もっとひどかったのがウネリ!!風が全くない場合によくあることですが、もう常にウネリに横向きになってしまい、しかもSATOMI号のいた位置は真ん中に近い場所で、そこは湾を伝わってくるウネリに影響をもろ受ける位置だったみたい。どおりで皆さんきつきつでも右端に固まっていたんですね。しかも外海正面に向いても、なぜか横からウネリが来るんですよ。洗っておいたお皿がキッチンでガタゴト音がしてなんか倒れるんじゃないか、と思うぐらいゆらゆら、一晩中揺れていたので私はほとんど眠れませんでした。主人は隣でいびきをかいて爆睡していた!!!
6月28日(水):熟睡して気分がよかったのか、キャプテン・ロブ、なんと7時前に起きだして出発準備をしてました!私はやっとうとうとし始めたばかりだったのですが時計をみたらまだ6時45分とか。「寝てていいよ。」と言われたのでお言葉に甘えました。波も風もなかったので主人一人でアンカーを上げて出港していきました。
1時間ぐらいたって8時ちょっと前に私も起きだしました。うとうとしていただけだったしね。新しく付け足した防音マットの効果でエンジン音は各段に静かになりました。バウバースにいるとドアを閉めると全然気になりません。以前は振動もあったのでドアを閉めてもダメだったんですよねえ。
海岸線に沿って北上。この時間は特にですが、この日は風がないのはわかっていたのでエンジン走行。ちょっといつもの移動よりも距離があるので丁度いいです。といっても50マイルぐらいかな。行先はこのKaraburun半島の先っぽにある泊地です。夜になると南風がちょっと強くなるのでその待避のため。
追い越したヨットは、QeparoでもHimareでも一緒だったヨットです。私達より先に出発してたようですが、SATOMI号の新品エンジンは快速なので、途中で追い越しました。彼らも決して遅くないんですよ。AISで見てみたら、6.9ノットのスピードが出ていました。古いエンジンの時だったら、SATOMI号ではこのくらいが最高速度ぐらいだったと思います。でも今は最低でも7.5ノット出ちゃうからねぇ。本当に速いな~。
8時50分辺り、青丸の位置まで来ていました。目的地は半島の一番上の緑の碇マーク。
この辺り、時々ブイが浮いていて、フィッシュトラップがあるので注意していたら前方に何やらサイズのでかそうなものが浮いていました。
近づくにつれてそれがブイではなく・・・
子供の浮き輪だということがわかりました。でもサイズ的には大人でもいけそうな。逆さまになっていますが、ピンクのドルフィンがついてるみたいだった。一瞬「取りに行こうか」とも思ったのですが、でも使わないと思うんでそしたら荷物がまた増えるだけなので、諦めた。
この辺りで、ちょっと後方からの風を感じたのでジェノアだけを出してみることに。
スピードは4ノット行けばいい方でしたが、半分以上もう過ぎているのでここからならゆっくりでもいいかな、と思いました。本格的にセーリングだけで進みたかったら出発を午後から夕方にかけてにすれば大丈夫だったかも、ですが、Himareの揺れ具合を我慢するのがもう嫌だったのと、早くついて泊地散策を楽しみたかったのです。翌日風向きが変わるので2泊はできない場所なのですよ。
残念ながらセール走行できたのは30分ぐらいでした。どんどん風が弱まりジェノアへたれてきたので、エンジン走行に切り替え。
10時45分ごろ、この位置にいました。この先にあるHaxhi Aliという洞窟はとても有名です。前を通過するのでよく見てみよう!
あのあたりだと思うけど。
お!見えてきた!かなりデカいよ。
凄い!!かなり高さもあって小さな船なら軽々通過できそう。ヨットは浅くて無理かも、ですが。観光船が沢山くる場所らしいです。今まで見た洞窟の中ではかなり本格的な洞窟。
帰りに寄ってみようと思いました。近くに水深的にはアンカリングできそうな場所があったので一時的係留ならできそうだったのです。そしてテンダーで中まで入ってみたい!
おやあんな場所に建物が!廃墟ぽかったですけど。普通の住居だったとしたらかなり不便な場所だけどね。軍関係かな。
というのは、ここKaraburun(カラブルン)半島の先っぽは位置的にイタリアとの距離がアドリア海を挟んで一番近い位置。第2次大戦中あたりにやっと独立国となったアルバニアは長い間オスマントルコ、近代ではイタリヤやドイツの支配下にあったんですよね。こんな風にバンカーみたいなのがあちこちにありますが、いったいこれはどの敵を攻撃するものだったのかな。年代的には第2次大戦のあたりみたいですけど。いずれにしても外にから来る敵に対して自国を守るためのものですけどね。
この辺り何か所もありました。
さて、そこからすぐ先に泊地のShen Janiがありました。11時半到着。
綺麗な場所だなぁ。
あっちには桟橋みたいなものがある!
ということで、ランチを食べてから上陸です。崩れ気味だったけどコンクリートのワーフでした。
最初はここに来るのは私達ぐらいなもんかな、と思ったら後から2隻入ってきました。すぐ隣は最初にSarandeで見てHimareで再会したオーストラリア人の30代ぐらいのカップル。最初に会ったとき声をかけたけど、その後再会してもなんかそっけない反応なのでそれ以後は無視しております。実をいつと、コーフ島以降結構何隻もオーストラリア国籍のヨットをみるようなったんですけど、どの方達も皆さんそっけないのです。過去2年間で出会ったオージー船合計をコーフ島以降、すでに超えているぐらい、オージー船にあっているんですけどね。なんか皆さん挨拶しても「関わりは持ちたくありませんオーラ」が出ているんです。他の地域ではほとんど会うことがないオージー船。トルコで会ったオージーカップルとはすぐに打ち解けお互いの船を訪問しました。でも今年は、出会う数は多くてもそういう展開が一度もない!不思議だなぁ。でもなんとなく感じているのは、アルバニアにはシェンジェン諸国ビザなし訪問の期限を待つヨットがすごく多くて、その中にはシェンジェン国内にいても(特にギリシャ)正式に入国手続きをしていないでウロウロしている船が結構いるということ。キャタマランのイギリス人カップルの方達が教えてくれました。彼らはこの夏をクロアチアで過ごしたいのでシェンジェン諸国じゃないアルバニアで時間を稼いでいるのでした。その彼らもアルバニアをチェックアウトしたら、次はクロアチアまで入国手続きはしない、と言っていました。理論上は上陸しないくてアンカリングだけだったら入国手続きをしないで通過できるんですよ。でも実際はメインの港を避けるだけで普通に陸には上がっているみたいです。そういう事情があるからかな。初めて会ったヨッティ―同士は、だいたいどれぐらいこの地域にいるのかっていう会話になるのですが、その時私達が「ギリシャのレジデントビザなので。」という話が出るから、それで他のオージーの人たちは自分達が違法にギリシャに居続けている事を知られたくなくて、私達と関わり合いたくないのかしら?・・・・なんて勝手に想像しちゃっています。
結構ちゃんとしたワーフですね。地元の漁師さんが係留していた。
おや、洞窟があるよ。
洞窟と言うより、人口的に作られたトンネルだ!
トンネルというより倉庫?というぐらいかなり広いんです。
行き止まりになってましたけど、奥行きは50メートルぐらいあり、高さ15メートルぐらいの穴なんです。戦争中の軍事倉庫だったのかな。
ちょっと先にも小型のがありました。
その先はビーチに降りていく道だけみたいだったので、ワーフまで引き返し。
といのは、さらに面白そうなものがあるんですよ。ちゃんとした石のドアみたいなのが着いている穴があったのだ。
ここもかなり奥行きがあり、部屋みたいなのがあったそうです。おそらく戦争中の駐屯基地だったんじゃんないかな。暗かったし不気味な感じもしたので入り口で覗いただけ。
この辺りは本当に、戦争の名残があちこちにありますね。あえて保存している、というよりは放置しているっていう感じ。
海岸沿いにも洞窟らしきものが数か所。
奥深いわけではないですが、テンダーで近寄ってみました。
ここはちょっぴり上陸。外をパワーボートが通過したらその波がすごい勢いでやってきテンダーがとがった岩にぶつかりそうなって焦り。
その後はアンカリングしている方にもどりビーチに上陸。
おおここにも戦争の名残。
その上には元タバーナらしきものが。シーズンになると営業するみたいですけど。
ここからSATOMI号を見ていたら、一匹の蝶が主人の周りをくっついていました。
動かないようにしていたら、手に乗っかってきた!
その後も、くっついてしばらく離れませんでした!
その後シュノーケリングでまたビーチまで泳いでいきましたが、期待するほど大きめの魚はおらず、で戻ってきた。
夕方までゆっくりしてから5時ぐらいに早めのディナー。
その後、どんどん何隻も入ってきました。最初はこんな所に来るのは私達だけかなと思っていたら、この辺りで南風待避といったらここしかないみたいで、満員御礼と言う感じ。その中にはキャタマランのイギリス人カップルもいて、合いに来てくれて再会を楽しみました。
夜が更けるにつれて突風が吹き出し、多分25ノットぐらいだったかな。SATOMI号よりも左にいた2隻は場所が悪いと思ったのか、もっと反対側の陸に近い方にリアンカーしていました。私達は最初からチェーンを40メートル出していたし、アンカーもしっかり埋まっていることが分かっていたので全く不安なし。風の音はうるさかったけど揺れることもなく快適でした。夜中ぐらいには風はおさまったみたいで、朝までぐっすり眠りました。
6月29日(木):朝7時。平和な朝。今日はこれから湾の奥に向けて進んでいきます。
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