2023年7月6日木曜日

世界遺産の共産主義時代のトンネルーアルバニア世界遺産の街ジロカストラ編

皆さんこんにちは!Sailing Stamperウェラード里美がお送りする手作りカードとギリシャ船上生活レポの世界にようこそ!






7月3日はベラトの街から車で2時間半ほど南に下ったもう一つの世界遺産の街ジロカストロに向かいました。ユニークな街並みが特徴のベラトと違い、ジロカストロの方はどちらかというとお城がメインと言う感じでしたが、ジロカストロの街並みもベラトと少し違った雰囲気で面白かったですよ。特に泊った場所が、オスマントルコ時代の住宅でお宿から見る絶景が何とも言えませんでした。


ベラトのお宿はピンクの可愛い建物の隣の近代的な方。以前はこのピンクの方がゲストハウスだったようです。

朝になったらいきなりお宿の斜め前に一軒だけの青空洋品店が出現していた。

ホテルの入り口を入るとロビーみたいなところが朝食スペース。

突当りのカウンターに飲物が用意されているので各部屋にありません。冷蔵庫は部屋にあったけど。
ここが私達の部屋でした。一泊28ユーロでシャワートイレも綺麗でした。

朝ご飯は予め時間を指定しておいたらその時間に用意されていました。飲み物は自分で作るセルフサービス。朝食は追加料金ですが、一人200レク、つまり約ユーロなので格安です。目玉焼きにソーセージ、フェッタチーズとトマトにキュウリのサラダとパン。十分でした。
8時45分、ベラトの街に別れを告げて出発!

今回は寄り道せずに、まっすぐ向かい12時ちょっと過ぎ、ジロカストロに街に到着しました。高台から見下ろした感じからすると家のデザインがちょっと違いました。黒っぽい屋根の家が多かったかな。

まずはランチに行くことに。
斜面に家が建っているので、どこに行くにも坂を上ったり下ったりがついてきます。


このレストラン、評判は良かったのですがとてもゆっくりで、それはいいんだけどオーダーしてから30分ぐらい待ってからメインの料理が品切れですって言ってきたんですよ。で、それに代わるものを2つぐらいおすすめされたので、そのうちの一つを選んだら、その直後に別のウェーターさんに「それも品切れです。」と言われる始末。

でこれが最終的に落ち着いたポークのトマト煮でしたが、特別美味しいというわけでもなく、待った甲斐は余り感じられませんでした。アルバニア料理、なんかちょっとハズレかも。

その後、すぐ近くのバザールに行きましたが、例によって旅行会社のサイトで以下の説明文を見つけました。(そのサイトはこちらから)以下引用です。

「千の窓の街」ベラトに対して、ジロカストラは「石の町」と呼ばれています。建物の様式自体はベラトと同じですが、屋根が黒いため、街全体が白・灰色・黒のモノクロームで、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

ジロカストラにも、街を見下ろす丘の上に堅牢な古城があります。ジロカストラ城の先端には時計台があり、街のトレードマークにもなっています。城内からジロカストラの街を見下ろすと、グレーの石葺きの屋根が連なっていて、ヨーロッパともアジアとも違うアルバニア独特の景色が楽しめます。

城壁だけでなく要塞の建物も残っていて、現在は兵器博物館として利用されています。主な展示物は、冷戦中にアルバニアで使われたアメリカ軍の兵器などですが、中近世の兵器も展示されていて興味深いですよ。そのうえ、城壁の脇には米軍の戦闘機が野外展示されているので、古い町並みと古城、そしてひと昔前の戦闘機という、なかなか見られない組み合わせの写真を撮ることができます。
ジロカストラの中心部には、「バザール」と呼ばれる古い商店街があります。ここは世界遺産の登録の鍵となったジロカストラの多様な文化が凝縮したところで、手工芸店やお土産屋、カフェ、食料品店、衣料品店などがびっしりと並んでいます。アルバニアのお土産がそろうだけでなく、ジロカストラの地元の暮らしぶりに接することができますよ。

また、オスマン帝国時代に建てられたイスラム教のモスクも1つだけ残っています。ほかにもトルコ風の建物もちらほら目にすることができます。トルコ風の建物は2階が1階よりも広く張り出しているので、すぐわかりますよ。
ー引用終了

そのバザールです。

通りの分岐店にあった建物。

こっち側にもありました。通りのどちら側にも面していますね。これ出窓全体が部屋になっている感じ?!面白い!トルコ風建物。

お土産は特にピントくるものに出会っていないのでまだ何も買っていないんですよね。というのは、アルバニアだけに来ていたら「あ、これ欲しい」と思ったであろうものがあるんですが、トルコのバザールで売っていたものによく似てたりするんで、私達にはあまり目新しくなかったのです。
ベラトの街並みは斜面に絶え間なくきれいに家が並んでいましたが、ここはあっちこっちにある感じでした。

バザールの後は、世界遺産とは関係ないんですが、ちょっと近代史に戻って共産主義時代に作られた原爆対応トンネルを見学しました。

コンクリートの壁と5重のドア。

冷戦時代の秘密の軍の要塞だったそうです。第2次大戦後に独立したアルバニアは独裁者炎ヴェル・ホッジャが作らせたもので、ホッジャさんはジロカストロの出身だそうです。そしてこのトンネルも世界遺産でした。

トンネルはガイドさんに連れられてツアーで入るんですが、一人たったの200レクなのでお値打ち。中身の濃さを思うとすごく安く感じました。現在のアルバニアではホッジャ氏は非常に嫌われているみたいで、ガイドさんもかなり皮肉交じりのジョークが出てました。それもそのはず、彼のお陰で鎖国状態になったアルバニアは結果的にヨーロッパでもっとも貧しい国と言われるぐらい衰退しちゃったからね。このトンネルは300人程度が3カ月間ぐらい外に出なくても生活できるようになっているそうです。40年続いたといわれるホッジャ氏の政権は他国からの侵略を恐れて原爆にも対応できるシェルターを作ったんですよ。今でもあちこちで見る、ドーム型の防空壕みたいなの、第2次世界大戦中のものなのかなって思ってましたが、実はもっと後のことで、ホッジャ氏がアルバニア中に作らせたものだったのです。いざ攻撃されたら(具体的にどこの国を想定していたのかは不明ですが、なんとなくそういう危機感があったらしい。)国民全員が3分以内にシェルターに逃げ込めるようにと、とあちこちに作られたシェルターだったのですが、実際はあんなのでは爆撃には対応できません。巨額の資金を費やして作らせたけど実際はあまり意味がないわけです。一方自分たちは原爆シェルターに逃げ込むわけですね。

ジェネレーター室。これで喚起しているそうです。



ミーテイング室。
トンネルはかなり広範囲で、全部見せてくれるわけではないんですがそれでも20分間のツアー。迷路のようにあっちこっち通路があって、ガイドさんなしだったら迷って外に出られなくなりそうでした。


ここは通信指令室。

これトイレなんですけどね、なんと200人ぐらいに対してトイレがたったの2つ!!!最悪な環境ですね。

ここは食堂ですが、トンネル内では料理ができないので缶詰の食べ物が配膳されるだけだったそうです。

とても中身の充実したトンネルツアーで、アルバニアの近代史の概要がわかりました。次にお城に向かいます。

このお城はかなり見ごたえがありました。長ぼそくて端から端までだいたい2キロぐらいだそうです。



復元されているので、昔のままということではないんですが、今でも実際に一部を使用しているという点。さらに共産主義時代には政治犯の牢屋としても使われていたそうです。



屋上から見る景色。こちらは近代的な街の風景。

こっちが世界遺産の街並み。


世界大戦時代の大砲なんかも飾ってあります。

お城の半分ぐらいが博物館となっていて、その奥に監獄だった部分があります。お城の入場料は一人500レクで、博物館は別料金の200レクでした。ジロカストロで初めて入場料を払いました。でも見ごたえがあるので、この値段は妥当だなと感じましたよ。たったの200レク追加なので、見なきゃソンソン。

その手前には大戦当時の戦車が展示されていました。

イタリア、フィアット社が作った戦車だそうです。1940年のもの。

博物館の中。ここは古代から現代までのこのエリアの歴史がまとめていました。紀元前1500年から600年辺りにはこの地方に文明があったそうです。

民族衣装。

このお城はキリスト教やイスラム教の支配者によって使われてきたそうですが、オスマントルコに征服されたのち、当時のトルコの支配者が異宗教にとても寛容だったそうで、イスラム教への改宗を強要することなくクリスチャンとの共存を保てたそうです。トンネルガイドさんも言ってたんですけど、それは今の時代もそうらしく、アルバニアは世界でも珍しくイスラム教徒とキリスト教徒との宗教争いが全く発生しなかった国だそうです。ガイドさんは「僕の家は基本イスラム教徒なんですけど、クリスマスもやっちゃうし、なんでもありなんですよ。」と言っていて驚きました。なるほど、どうりで街でお祈りの声があまり聞こえなかったんですね。モスクもあまり見ないし。

次はもと監獄だった部分。


実際に見学できる部分は一部ですが、それでも結構廊下が長いんですけどね、まだまだ続いている!

中に入ってみた。

その次は第2次世界大戦中のものが展示された場所がありました。古城の中にいるとは思えない。


博物館側の建物から出たところ。外に出るとやっぱり古城だ。

あそこに見えるのはコンサート会場です。ここは今でも普通にコンサートで使っているそうです。


この時計台は有名らしい。なんでか忘れけど。



お城見学はタップリ1時間ちょっと時間をかけて楽しみました。すごく見ごたえがあったなぁ。ちなみに、丘の上にあるのですが、直前まで来るまで行けるので、歩いて街から行くよりも行けるところまで来るまで行った方が賢明です。お城内が広いからついてからもかなり歩きます。それにきつい坂道を登り切っただけでかなり体力消耗するし。

本日のお宿は、世界遺産の街並みのど真ん中です。

下から見上げたところ。この写真だと一番左上にチラリと見える程度。車で直前まで行けるんですが、石畳のくねくねした道を通らないと行けなくて、グーグルマップは全然使えませんでした。最初、徒歩でしか行けない道から登って行って、どうやった車でたどり着けるの?って宿のおばさんに聞いたら、一緒に坂道を降りてきてくれて車に乗り込んで誘導してくれました。本当にアルバニア人、親切だなぁ。


みて、これがお宿の正面からの景色。お城が正面にあるのです。

バルコニーからの眺め。ついてからしばらくここで景色を見てうっとりしてました。



その反対側に部屋があります。

このお部屋もなんと一泊たったの28ユーロで朝食込のお値段!街に行くには坂道を下ってまた登って帰ってこないといけませんが、車でも行けるので不便ではないです。ただ駐車スペースが限られているので、それを考えると、夕食は徒歩かな。


で坂を延々下って、その後登って・・・ディナーです。

ここはトリップアドバイザーで2020年に賞を取ったレストランなんですが、その理由が今一つわからなかった。名物は右上のほうれん草のパンケーキみたいなもの。左下はミートボール。
こちらはライスボールにベジタブルスープ。正直スープが一番美味しかったです。これ以外のお肉系の料理はみな、ポークステーキとか普通で、特にアルバニア料理という感じではありませんでした。一応伝統料理をオーダーしたんですけど全てにタズキソースが付いてきた。ギリシャに3年近くいるんで、正直ギリシャ料理との違いがわからないです。もっと言えばギリシャ料理の質素版と言う感じ。でもお値段は確かに安い。

サービスのデザートはホットケーキ的なもの。これは美味しかったなぁ。

お腹は一杯になったので、坂道を下って家路です。この後心臓破りの上り坂がありますけど。

この景色を見られるお宿でしかもたったの28ユーロだから、全然OK。

ベラトとジロカストロ、距離はかなり離れていますがセットで世界遺産登録されている理由がわかる気がします。同じぐらいの年代でも二つの街の住宅のデザインが違うし、アルバニアの歴史を知るためにはどちらも外せない場所でした。

さてドライブ旅行最終日はネイチャー編。山の中にある「The Blue Eye」と呼ばれる場所がある国立公園に向かいます。

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2 件のコメント:

  1. What an interesting trip! Thank you for the guided tour. When I still lived in Europe, we would often find ourselves looking at the Albanian coastline and wonder what it was like. It was always shrouded in mystery because the borders were closed and nobody was allowed in (nor out, perhaps?)

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    1. Albania was closed its border for a long time.Maybe because of that people are really pure and friendly. We really enjoy our stay in here.

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